【店長ブログ】
日本人初のメジャーリーガー
日本時間の19日、北海道・日本ハムファイターズのダルビッシュ有投手が米大リーグのテキサス・レンジャースと6年契約で合意したとの発表があった。その契約金額は、2006年のオフにボストン・レッドソックスと同じく6年契約した、松坂大輔投手の総額5200万ドルを上回る、なんと6000万ドル(約46億円)と報じられている。
今オフ、シアトル・マリナーズには岩隈久志投手・川崎宗則選手が、ボルチモア・オリオールズには和田毅投手が、青木宣親選手はミルウォーキー・ブルワーズへと、日本を代表するプレーヤーが、次々とMLB入りを表明した。
その先駆者といえば、1995年からロサンゼルス・ドジャースなどで活躍した、野茂英雄投手を思い浮かべる人が多く、彼こそがメジャー第1号 !? と思われがちだが、実は、その30年以上前の1964年、南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)から野球留学し、米サンフランシスコ・ジャイアンツ(SF)で活躍した“マッシー村上”こと村上雅則投手が日本人初であることは、あまり知られていない。
1944年、山梨県に生まれた村上さんは、1960年・夏、1961年・春と甲子園夏春連覇を成し遂げた時の名門・法政二高で当時から投手としてプレーをし、1962年9月に南海と契約。プロ2年目の1964年にSF傘下の1Aフレズノに野球留学で派遣されると、同年の8月31日、突然のメジャー昇格を言い渡され、空路ニューヨークへ・・・。
そして、翌日の対ニューヨーク・メッツ戦に、日本人として初めて、、、メジャーでの登板を果たしたのだ。
その1ヶ月後の9月29日、対コルト45's戦では、9~11回まで無失点に抑え、11回裏にチームがサヨナラ勝ちしたことで勝利投手となった。。。 もちろん日本人メジャー初の勝利投手でもある。
翌年(1965)までSFに在籍した彼は、2年間で54試合に登板、5勝1敗9セーブという成績を残している。
その村上さんと初めてお会いしたのは、2006年2月頃のことだった。その時の印象は ・・・ 「あれだけの偉業を成し遂げながら、なんて紳士かつ謙虚な人なんだろう・・ 」 といったものだった。
また、私が起業した際には、ケータイにまで直接お電話をいただき、激励され感動したことを覚えている。
現在、村上さんは、それまでのMLB等での経験を生かし、メジャーリーグの試合の解説者としてNHKで活躍されているようだ。(今年いただいた年賀状にはそのように書かれていた)
これから、当たり前のようにメジャーへ挑戦する日本人が増える中、村上さんにおいても超多忙な日々が続くことだろう。
【略歴】
1944年、山梨県生まれ。左投左打。
法政二高-南海(62-63)-SF(64-65)-南海(66-74)-阪神(75)-日本ハム(76-82)で投手として活躍。
日本ハム(87-88)-ダイエー〔南海の後身〕(89)、西武(93-94)でピッチングコーチを歴任。
通算成績は大リーグ(実働2年)で5勝1敗9S、 防御率3.43。
日本(実働18年)で103勝82敗30S、防御率3.64、758奪三振。
2012/01/25