【店長ブログ】
ミスターのライバル ・・
今月 6日、プロ野球の中日などで活躍し、全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)の理事長を務めた、森徹(もり・とおる)さんが肝細胞ガンのため、都内の病院でなくなった。78歳だった。
森さんは早大の4番として東京六大学で活躍。同期の立大・長嶋茂雄氏(ミスター)とはライバル関係にあった。
1958年、中日に入団し、新人王のタイトルこそ同年巨人入りした長嶋氏に奪われたものの、1年目から本塁打23本を放ち、2年目には4番に座り、31本塁打、87打点と2冠を獲得した。
当時を知る人は 「森さんのスイングは一切の無駄がなく、ボールを完璧にとらえて、ゴム鞠のようにスタンドへたたき込んでいた」 という。
新人ながら、58年から3年連続でベストナインに選出。球宴には5度出場した。62年から大洋(現DeNA)、66年から東京(現ロッテ)でプレーし、68年限りで引退。通算成績は 1177試合で971安打、189本塁打、585打点、打率 2割5分1厘だった。
2005年6月、野球関連事業の企画を練っていた私は、ある方の紹介で森徹さんと初めてお会いした。赤羽駅の銀座コージーコーナーで。。
見るからに元プロ野球選手といった大柄な風貌で、どんぶりのようなカップでホットミルクを飲む干す姿に我々は圧倒された。
柔道、合気道、空手で6段を持ち、プロレスラーだった力道山氏とは義兄弟だった森さん。「球界の中で喧嘩は負けたことがなかった」 と話されていたのがとても印象に残っている。
起業した際には、私のケータイに直接お電話を頂戴し、ご支援をいただくとともに、一時弊社のアドバイザーとして名をお借りした時期もあった。
その訃報を知ったのは、9日のTBSの番組 『サンデーモーニング』 のスポーツコーナー (「喝っ」 「アッパレ」 でお馴染みの・・) で、翌日のスケジュールを急遽調整し、町屋斎場でおこなわれた通夜に参列した。森さんの人脈の広さからか、野球界だけにとどまらず、他のスポーツ関係者、政界、財界など多くの方が訪れ、生前を偲んだ。
これまでのご厚意に対し、今後何らかのかたちで恩返しができればと思う次第である。
心からご冥福をお祈りいたします。
2014/02/28